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卓話



 
2022年1月24日(月)

 

 

〜新会員卓話〜

 
望月 康利 会員
 


望月 康利 会員
 46歳のしがないストーリーをお話させていただきます。バツなしの独身です。藤枝市に生まれ、釣りと虫取りが大好きな幼少期で、寺の鯉を釣って怒られたり、農家のしいたけの原木を荒らしてカブトムシの幼虫を獲って怒られたり、怒られるこに耐性を持ちました。小中学校は屋上から生卵や、椅子が降ってくるような悪い学校で、ヤンキーに対しての耐性も持ちました。ただ、三浦先輩には今でもビビっています。この頃の先輩として、サッカーの名波浩さんや、バンデルの塩澤さんなどがいます。
 親はこんな私にも教養をつけたかったようで、習字やスイミングなどの習い事をやらされましたが、だいたい2〜3週間で辞めてしまいました。小学校から唯一やり続けたのがサッカーでした。朝学校に行く前にスタートダッシュをしたり、12kmを走ったり、学校から帰ると、木造のサッカーゴールやハードル、ほふく前進用のネットを作ったり、星一徹のような父に育てられました。その後、藤枝東高等学校に入学し、ここでもサッカー漬けの日々を過ごしました。浦和レッズにいた山田暢久は小学校からの友達でした。多くはサッカー推薦で大学に行くのですが、厳格な父は、「サッカーで大学に入るのは許さない」と言われ、1年間浪人し、死ぬ気で勉強して、山梨大学土木環境工学科に入学しました。この時、人間死ぬ気でやればなんとかなると言うことを学びました。その時は父を恨んだこともありましたが、今となっては父の判断には感謝しています。
 大学を卒業し、大手ゼネコンに就職しましたが、大きな仕事の歯車の一部の一部の一部、、、のネジにもならないような仕事だったので半年で退社してしまいました。このままではいけないと思い、父が工務店をやっていたので、大工の手伝いをしながら、なんとか2年目で一級建築士の資格をとることができました。次に構造設計事務所に入りましたが、仕事は超が付くほど地味でストイックで、周りの誰とも話さないような中、一年くらい頑張りましたが退社しました。次は意匠設計事務所に入りたいと思い、その前に外国の建築を見たいと思い、28歳の時に、バックパッカーでヨーロッパを3ヶ月間放浪してきました。無事に帰国し、その後、造園の会社に入ったところ、青年会議所に入れと言われ、始めはやばいなと思いましたが、素晴らしい先輩たちに出会うことができました。39歳のときに突然、会社を辞めてくれと言われ、無職になってしまいました。いろんな荒波を乗り越えて、今頑張って仕事ができています。
 現在の仕事は、外構エクステリア、家の設計や管理など仕事をさせてもらっています。どうしようもない人生を送ってきた自分ですが、いろんな先輩に支えられて、ようやく軌道に乗って仕事をさせていただいております。こんな私ですが、今後宜しくお願いいたします。

 

 

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