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2021年3月23日(月)
望月 威男 会員

 

 

〜私の話、東日本大震災とその後〜


望月 威男 会員
 昨日はサリン事件があった日から26年、阪神大震災は26年前の1月17日でした。その年の6月12日にこのクラブに入会させて頂きました。静岡市社会福祉協議会への寄付を26歳から始めて、52年間毎月、給料をもらったら寄付をしています。その事を静高の同級生の森さんが知っていて、「寄付もいいけど、世界的な社会奉仕団体で活動に入ったほうが良い」と言っていただき、入会することとなりました。出張が多かったため、福島に行ったときは福島のロータリークラブに出席するなどメイキャップを利用して、今まで100%出席となっています。10周年の時、駿府城公園の黒松植樹に疑問を持って退会も考えましたが、金丸さんのお父さんが引き止めてくれて、退会を思いとどまりました。第25期(2010-2011年)に会長をやらせて頂きました。当時「4つのテスト」唱和をやっておりませんでしたが、私の時から唱和を開始することになりました。また、本会計の間違いが見つかり、特別会計から振り替えて修正しました。GSEの外国人留学生を受け入れ、浅間神社と久能山を案内して喜んでもらいました。そして、3月11日。静岡市7クラブの合同例会後、14時30分頃家に帰りましたが、14時46分地震が発生しました。4月に台湾中和RCに23人で訪問予定でしたが、地震の影響があり6名で陳中統さんのガバナー就任祝いに出席してきました。その時、中和RCから50万円の震災義援金を預かり、当クラブからの85万円を合わせて日本赤十字社へ寄付しました。5年後には山梨の当時54歳だった野口ガバナーのもと、ガバナー補佐をやらせてもらいました。
 3月11日東日本大震災がおこりました。うちの会社は福島県に3箇所、工場と事務所あります。当初は原発が爆発するとは思いませんでした。12日の爆発では20kmくらい離れた場所でも爆発音が聞こえたそうです。ベントにより爆発しなかった2号機がメルトダウンを起こしてしまいました。
 避難というのは戻る場所があることを「避難」といい、放射能の避難は戻ることができない「移住」になります。「引っ越し」ということです。当社のある川内村は風の影響で近隣市町村で放射能の影響が一番すくなかったので、翌年の4月には「帰村宣言」を出し、3,000人あまりの村でしたが、今では2,000人くらい戻っています。しかし戻った方のほとんどが65歳以上で、120人くらいいた小学生は15人程度しか戻りませんでした。
 次に「除染」についてですが、まず建物など水で洗ってくれます。その水を含んだ砂利や土は袋に入れて持って行ってくれて、それで除染は終了です。3年くらい前、村長さんに聞きましたが、川内村だけで除染後の袋が55万個あるとのことでした。福島県全体では2,800万個あるそうです。放射能は運ばれただけで、無くなってはいません。山に関しても、樹皮に付き、土壌を汚染しています。今現在6cm〜10cmくらいの深さの場所が一番線量が高いようです。それを吸い上げるきのこ類は全部ダメです。またそれを食べるイノシシや鹿も汚染され、食べることはできません。
 放射能や原子炉の話はいくらでもできますので、また機会があればお話しいたします。

 

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