〜 徳川家康公と久能山東照宮 〜
家康公は、慶長十二年(一六◯七)大御所として駿府に入った。林羅山は二十六歳で公の侍講となって、公の同行し、公蒐集書籍を整備して図書館「駿河文庫」を作り、銅活字で本の出版などをおこなった。家康公の天下泰平の国造りの基本は、文教政策で、「人倫の道 明かならざるより 自ずから世も乱れ国も治らずして騒乱止む無し。この道理を諭し知らんとならば、書籍より外には無し。」(「武野燭談」)ということにあった。
また公の外交基本は、平和外交であり、軍事、戦争を避けて、経済振興による国の平和的発展を標榜するものであった。そのことを雄弁に物語る、スペイン国王から家康公が寄贈を受けた西洋時計が、久能山東照宮博物館に伝来する。
家康公の文教政策と特に洋時計に焦点を当て、外交政策を中心に話を組み立てた。また、米沢藩主、上杉鷹山公に纏わるエピソードを元に、心豊かな東北農村風景を紹介した。
徳川家康公や徳川時代の正しい理解のお役に立てる講演となれば幸いである。
